井上道義×林伸光 特別対談
2024年末の引退を表明したマエストロ井上道義と、兵庫県立芸術文化センター総括アドバイザー・林伸光によるスペシャル対談。第142回定期演奏会のプログラムに掲載しきれなかった内容を公開します。
取材・文:小味渕彦之
林:今回の定期演奏会は早々に売り切れました。道義さんにはずっとPACに来てもらっているから、楽しみにされているファンの方も多いですし、これでPACの定期演奏会を振っていただくのは最後になるということもあったんでしょう。もちろん森山開次さんの演出、振付と出演があることも大きな要素です。振り返ると、芸術監督の佐渡裕さんの強い思いがあってこのオーケストラが発足した時に、私はぜひ道義さんにも来ていただきたいと思って、いの一番に連絡したんですよ。
井上:僕は大賛成した。オーケストラを育てる場所が必要だと思ったから。学生時代から、こいつは伸びるなというそれぞれの才能は、不思議なぐらいに見たとたんわかるんだよ。少なくともオレにはわかった。でも才能があっても、そういう人たちがいきなりオーケストラに入ると、オケのルールや常識を知らないわけだから叩かれるんだ。だから、こういった形で育てるっていうのには大賛成。ただ、兵庫でそれをやってお客さんが入るのかどうかまではわからなかったけれど、幸い僕はそこには責任がない。佐渡君というのは彼が学生の頃に副指揮者をしている時から知っていて、ちゃんと勉強をしてきていた上で、その頃から、人と人の間を取り持つことに抜きん出てた。だから伸びるなって最初から思ってた。
林:劇場の経営ということを考えると、決して一枚岩で進めていくんじゃなくて、客演してもらう指揮者だったら何人かの人に振ってもらって、この指揮者にはどういう方向性が向いてるのかをつかめたら、連続して出演してもらうということをしてきました。
井上:僕もそういうことは指揮者になろうと思った14歳のころから意識してたけど、林さんは朝日放送にいらっしゃったザ・シンフォニーホールの時代から、それが『うまい』んだ。そして容赦ないよね。たとえば、ウィーン・フィルを振るっていうのも、その人ができるんだったらやればいいことだけど、出来かけのオーケストラを育てるっていうのは、ウィーン・フィルを振られるからってできることじゃない。それでもカラヤンなんかは若い人に対しても上手だったし、一流中の一流を伸ばす指揮もできた。そういう風になかなか両方できる人はいないけど、オーケストラになろうとしているオーケストラの指揮をすることは必要なことなんだよ。
林:西宮でオーケストラを始めようと思った時に、大阪のお客様を引っ張ってくるんじゃなくて、大阪にも聴きに行くけど、『毎回毎回夜遅くなるのは大変ね』というこの阪神間に住む人たちに来て欲しかった。当時、定年になって時間が出来た方が夫婦で会員になってくださる例も多かったんです。その上で、アカデミーの要素がありつつ、若いメンバーが集まっているということをメインに打ち出していった。西宮や宝塚の文化の中では、それがピッタリだったんですよ。甲子園球場があって、高校野球から世界で活躍する選手が育っていっている。
そして宝塚大劇場では、宝塚音楽学校を出て入団する宝塚歌劇団でトップスターが誕生して、さらにその後はミュージカル界なんかで活躍する。この街には、そういう人が育つのを見守る土壌があるんですよ。
井上:東京にはそういうイメージはないんだよ。それは学校がやる仕事だったんです。
林:PACのメンバーは息子、娘世代というよりも、孫のような存在なんですよ。卒団してあちこちのオケに入った元メンバーがゲストで戻ってきたりすると個々人に結構な反応があります。小ホールでやっている室内楽なんかも、個人がクローズアップされますね。鑑賞しつつ、応援をするというスタイルが出来上がっていますね。
井上:最初の頃はゲストで来ている経験ある首席と僕はツーカーでやれるんだけど、若いメンバーとの間には、なんとなくすきま風が吹いていた。「オレは経験者、お前らはどうなるかわからない奴ら」みたいにね。先輩風が吹いていて、あんまり気持ちよくなかった。そういうのがいつの間にかなくなったよね。
林:メンバーは変わるんですけど、設立から3、4年たつとオケとしての安定感が出てきました。1ヶ月の間にやり切るっていう2008年にやった『ベートーヴェン・シリーズ』も大きかったですよね。シーズンをまたぐとメンバーが変わってしまいますからね。チクルスとはいえ《ミサ・ソレムニス》も入っていて、4回の演奏会に《第九》以外の8曲の交響曲を並べました。
井上:この時はオレは自分で《トリプル・コンチェルト》のピアノを弾くつもりだっただけど、小指が痛くて弾けなくなっちゃって、代わってもらったったんだ。非常に残念だったけど。でもこのシリーズはうまくいったよな。ゲストも素晴らしかったし。
林:アンサンブル・ウィーン=ベルリンのメンバーが入ったんですよ。
井上:歯に衣着せないからさ、ダメだったらあっち向いちゃうんだよ。でもこっち向いてたからさ。PACのメンバーと一緒にそういう人たちと、ベートーヴェンの音楽で対峙できたのはうれしかったよね。
林:PACではなくて大阪フィルとでしたけども、5回のブルックナーシリーズもやりましたね。
井上:芸文のあのホールはブルックナーが似合うんだよ、響きが必要だからね。この頃は体力的に落ちていた頃だったから大変だったんだけど、簡単な話、僕自身に対するイメージが偏っているわけですよ。ショスタコーヴィチが僕のレパートリーの背骨になって随分やったんだけど、あまりにもそのイメージがついてしまったから、ブルックナーでもすごいんだよ、っていうのをやってみたかったんだよ。
——やってみていかがでしたか?
井上:それは自分で言うことじゃないだろ。どうだった?
林:素晴らしかったですよ。
井上:でも実は子供の頃から「モーツァルト振りになりたい、ハイドンを振りたい」という意識が強かったんだよ。
林:道義さんはPACの初期の頃はあまり巨大なものをやらずに、モーツァルトから始まって、ベートーヴェンという風に、2管編成の古典派の作品を中心に取り組んでくださったのもありがたかった。
井上:オーケストラって10型以上になると弦楽器の人たちの意識が突然変わるんだよ。ほんとは8型ぐらいまでがいい。それ以上になると個々の音が判別しにくくなる。弾きがいというか、そこに自分のパトスを注ぎ込もうというのが簡単じゃなくなるんだよ。編成が大きくても、それを成り立たせるためには、指揮者としてはまったく別のアプローチが必要なんですよ。いわばドライブするってことになるんだけど、小さい編成だと向かい合って相撲するみたいなもので、これは大違いなんです。やる方としてはそっちの方が楽しいんだよ。オレの生きがいはそこにあるんだからね。本当のクラシック音楽はどういうものなかをいつも考えながらやっています。
——最後のPACとの定期に《火の鳥》を選ばれたのは?2021年にもやってらしたけど。
マネージャー:前回の最終日に次も《火の鳥》をやろうって決めたんです。
林:大きな編成のものでは、今回もそうですが、20世紀のロシアの作曲家、ショスタコーヴィチとプロコフィエフ、ストラヴィンスキーを取り上げることが多かったですね。
井上:兵庫のお客さんということで特別扱いはしていないんだけど、やっぱり東京のそれぞれのオーケストラの定期演奏会とちょっと違うことをしてるのは確かだよね。僕は東京生まれで、そこから関西を見るとそうなるんだよ。こういう真っ黄色のチラシもそうなんだけど…。関西の人たち全体はそうなのかもしれないけど、関西のクラシックのお客さんは実は真逆な方もいるんだよね。
林:大阪のお客さまの4分の1は阪神間の在住なんです。大阪が6割で京都が1割。そこで兵庫芸文が狙い目にしたのは宝塚歌劇のファン層だったんです。実際に劇場に足を運んで、そこでどんな会話をしているのかリサーチに行ってたんですけど、多く目につくのが40代と70代の女性の親子なんですよ。月に一度、宝塚を観て親子で食事をする。近年さかんに「敷居を低く」なんて言うんですが、劇場は非日常の世界なんだから敷居はあるんですよ。
井上:その通りだ!オレは宝塚好きだったんだよ。小学校の頃は2ヶ月にいっぺん東京宝塚劇場へ母に連れられて行っていて、その歌よりもダンスが面白かった。見られてるんだよね、舞台の上ってのは。オーケストラにもいつも「ここは舞台なんだ」ってことを言うんだ。打楽器叩いた後にどかんと座るなって言うんだよ。
林:大阪とPACを比べるとPACは女性比率が高いですね。7割ぐらいでしょうか。
井上:でも、ほんとは若い奴が来なきゃいけないんだけどね。20代30代で音楽聴いて感激することって大切なんだ。そういうお客さんを呼べる機会を作りたいんだよ。かつてオレたちが東京文化会館に聴きに行っていた時代って、日本のお客さんは若かったんだけど。
林:私はそんなに悲観していないんですよ。昔から若年層は少なかったんです。今の若い世代の人たちも時間のゆとりができると、劇場に足を運んでくださると思っています。
取材・文:小味渕彦之
兵庫芸術文化センター管弦楽団 第142回定期演奏会
井上道義 最後の火の鳥
【日時】2023年6月16日(金)・17日(土)・18日(日)各日3:00pm開演
【会場】兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール
【曲目】ディヴェルティメント(バレエ音楽「妖精の口づけ」による)、バレエ音楽「火の鳥」(1910年原典版)
【出演】指揮:6/16(金)・17(土) 井田 勝大、6/18(日) 横山 奏 ※当初発表より変更
舞踊:森山 開次、本島 美和 ほか
総監督:井上 道義
管弦楽:兵庫芸術文化センター管弦楽団
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